住職の石浜章友と申します。願隆寺ホームページにお越しくださりありがとうございます。
在家からご縁を頂き、僧侶にならせて頂きました。短期間で猛勉強をして住職にならせて頂いて、ようやく落ち着きました。小さい頃、交通事故で奇跡的に助かったり、足をたくさん縫うけがをしても奇跡的に後遺症をのがれたことがあります。今となっては、仏縁を頂いたがゆえの幸運であったと思います。
高校を辞めようと思ったこともありました。その頃は、少々人生がうまくいっていなかったのではないかと思います。そんな時、同じ高田派のお寺で家族同様に可愛がっていただき、おかげさまで高校を辞めずに済んだものです。
「あんたの家系はこうこうこうで、あんたがこうしないと家族一同が不幸になる、死んだらもっと辛いことでしょう、あんたには天罰がある」占い師のような方から、そんな風に言われたこともありました。思わず、その時は、言われるがままに操られそうになったものです。
その後、大学を卒業して社会人になりましたが、今流行りのいわゆるブラック企業に就職してしまいました。ですが意外にも、仕事的には楽しく、人間関係も良かったという記憶があります(笑)しかしやはり、熱い日も寒い日も関係なく、朝早くから深夜まで、危険な所や汚い所など、夜な夜な働く日々が続きます。そうして、心も体も疲れきってしまいました。同期の子といえば、会社をどんどん辞めていきます。みんなやる気が無く、見えない所で手を抜きます。
そんな生活の中、ある天台宗のお寺で、護摩供養というお祈りの行事の手伝いをする機会を頂きました。袈裟を着て参加してくれと頼まれたのです。そのとき初めて、お坊さんの袈裟を着させていただきました。そして、みなさんの幸せを炎の前で数時間祈り続けました。長い時間、お念仏を称えていると、良い事も悪い事も、心の中を駆け巡りました。もちろん、清らかな心ではあるのですが、心の片隅では、どこかそれどころでは無いと言うか、日々の生活や明日一日の事で、いっぱいいっぱいだったことを覚えています。
みなさんの幸せを祈るといいますが、みなさんの幸せだけを純粋に祈る事ができませんでした。やっぱり自分は、善人にはなれないことを確信したのです。大した功績や過去の栄光もないから、少しくらいは良い事を心掛けて生きていこうと考えてみても、その行為すら、続かない自分がいました。
世の為人の為に生きようと、大きな理想を考えて、あれこれ試してみても、結局気力体力も続かないし、目の前の小さな事すらも、なぁなぁにしてしまうんだなぁと。“良い事をすれば良い事がある”というロジックは、完全に崩壊した気がしました。
そんな心の状態になると、あの弱った時に言われた占い師のような方の言葉を思い出してしまうものです。このままだとあんたもあんたの家族も地獄だよ、と。気にしないつもりでも、色々頭によぎるわけです。あぁ、やっぱり就職も結婚も駄目なんだと、そう思ってしまいました。これまで全て中途半端だったように、やはり自分の人生には良いことがないんだなと、心底思ってしまったのです。
そんな中、たまたまのご縁で、親鸞聖人の教えにふれさせて頂きました。
「無慚無愧(むざんむき)のこの身にて まことの心はなけれども 弥陀の廻向の御名なれば 功徳は十方にみちたもう」とありますが、自己中心的で、生きる資格もない自分に懲りもせず、温かく見守ってくださるんだと。有りがたいやら申し訳ないやら。いまだに真宗の教えも深く理解は出来ませんが、捨ててある雑巾を拾ってもらい、綺麗に漂泊して日向に干してもらったみたいな、くしゃくしゃになった心に光をあてて頂いた気がして、すごく感動した記憶がよみがえります。
その後、お寺の住職を拝命させていただき、それからまた色々な事がありました。でも不思議と、散々な嫌な目にあっても、前とは心の中が少し違いました。阿弥陀さまがここまで守ってかばってくれても駄目なものは、あきらめないと仕方がないと、はじめて覚悟する事が出来たのです。
確かに辛い毎日という事は以前と変わらないのですが、同じ辛い毎日の中にも、感謝と喜びを感じて、かすかに光を感じ、ささいな幸せを見つける事が出来ました。大変だなとは思ったけれど、嫌だなとは思いませんでした。大変な事が続き絶望しても、人の優しさを感じたり、人の悩みに共感することが出来たり。人に支えられ助けられて、願われて生かされている、それに気付くことが出来ました。そのようなことが励みになり、何とか今日一日だけは、もう一度だけは、頑張ってみようと日々を過ごしました。
お釈迦さまは、「人生は苦である」と説かれています。「身自ら之を当(う)け、代わる者あることなし」と。生きる事は苦で、神様仏様に祈っても苦は無くならないと。
信心すれば良い事が有ると勘違いしていましたので、初めて聞いた時は本当にびっくりというか、かなりショックでした。なんだか夢も希望もなく、神様も仏様も無いように思えましたが、そうではないと思います。それを受け入れていかないと、「なぜ自分だけこんな目にあうのか」「こんなはずでは無い」と腹も立ちますし、悪徳占い師や悪徳新興宗教などから、「先祖や墓や風水や水子が悪い、日柄が悪い部屋が悪い、だからこうしろああしろ」などと迷わされます。
親鸞聖人は、「念仏者は無碍の一道」とおっしゃっています。阿弥陀さまの救いを信じ、勇気を振り絞って這い上がろうとすると、「嫌なことがあったことで阿弥陀さまの心と救いにであえた」「辛い事も無駄ではなかった」と思えるようになると。なかなか簡単に理想どおりにいきませんが、たしかに辛いのを周りのせいにせず、乗り越えていける「たくましい生き方」を与えてくださると思います。
先日、吉田ソース社長の吉田潤喜さまの講演会を聴く機会がありました。
「4歳で私の目を奪った神様と同じ神様が、この素晴らしい私の人生を与えてくれた。4歳で目を失った時に、この素晴らしい人生が約束されたのだ。本当に、目の前の扉をすべて閉じられてしまったと思うと、不思議なことにこっそりと、小さな別の扉が開くのだと。開かない扉を、精一杯全力であけようとする時、何人の人が一緒に支えて下さるかが自分の人生だ」と。
この方は京都のお生まれで信心深かったかどうかはわかりませんが、仏教の教え、お念仏の教えに出会う前と後で一番違うのは、自分の人生が思い通りにいかないことを悔やむのはでなく、色々なご縁や人に支えられ、生かされていることに気づけることだと思います。さらには、辛い目にあっても、「今の人生を、納得して生きて、納得して死んでいくことが出来る」、「これでよかった。満足です」という人生を、開いて下さったことだと思います。
小さい頃からお世話になったお寺さん、僧侶、そして今の檀家さん、どれ一つ無くても、今この場には存在出来なかったんだと感謝しています。ご和讃には、「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海(ほうかい)みちみちて 煩悩の濁水(じょくしい)へだてなし」とあります。
たった六文字の「南無阿弥陀仏」との出会いによって、生きる価値も意味もないと思っていた卑下した人生を、怯えることのない、空しさとも無縁な人生に変えることが出来たのです。今後も色々なことがあると思いますが、お念仏をよりどころに、与えて頂いた人生とまっすぐに向き合って、精進していきたいと思います。
紹隆を願う阿弥陀さまのお寺『紹光山 願隆寺』
万治三年開創。受院真諦空全大法師が親鸞聖人の教えに帰依し、自ら烏森城跡に庵室を建立。その後、高田派本山第十六世堯円上人の時、願隆寺と称されるようになる。昭和20年3月、空襲により本堂庫裡を失ったが、33年に梵鐘を再鋳。48年には全ての再建を終える。本尊は、恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来。正式には「紹光山 願隆寺」と称する。
住職 石浜章友/いしはましょうゆう プロフィール
1978年10月17日、名古屋生まれ。社会人経験ののち、25歳で出家。幸蓮寺で得度を経て、本山専修寺恭敬部で約1年間勤める。2005年11月5日、伝灯奉告法会(住職継承式)を厳修し、願隆寺第14世住職に就任。現在は、先人が感動し今に伝えた仏教の御教えから、地域・社会・日本文化への貢献に取り組む。